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福島地方裁判所 昭和31年(ワ)71号 判決

原告 河東田とめよ 外三名

被告 大内八四二

主文

被告は、原告河東田とめよに対し金一〇万円、原告河東田文保に対し金三万円、原告河東田清留、同金塚クリ子に対し各金二万円、および右各金員に対する昭和三一年七月一五日以降各その完済まで年五分の割合の金員をそれぞれ支払うべし。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はその二分の一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、被告が藁工品の集荷、販売を業とし、この事業のため自動車運転手として鈴木半一を雇つて使用していること、昭和三〇年一〇月二七日鈴木が被告の事業のため、原告主張のトラツクに藁工品を積んで運転し宮城県名取郡名取町閖上方面から福島市に向う途中、同日午後一時ごろ同郡岩沼町字町北一二八番地先国道上にさしかかつた際、たまたまこの道路を横断しようとした河東田清四郎に右自動車を衝突させ、その下敷にして、同日午後一時三〇分ごろ右肋骨全部骨折、背椎骨折などにより死亡させたこと、は当事者間に争がない。

二、右事故の状況の詳細について検討する。

成立に争ない甲第四ないし第一〇号証、乙第四ないし第六号証証人鈴木半一、同佐藤喜代治の各証言(後記信用しない部分を除く。)を総合すれば、鈴木は前記国道(巾員約七・三米で交通量の相当多い幹線道路)上を北から南に向け時速約二五粁の制限速度で自動車を運行し、別紙図面(省略)(一)の位置に来たとき、約一六米前方右側(い)点で清四郎(当時六八才)が突然自動車の進行方向に斜に道路を横断しようとするのを発見し、同人が老令で腰も曲りよたよたした動作であることを認め、警笛を鳴らしながらやや速度をおとして(二)の位置まで来たが、清四郎はこれに気付かず依然横断を続け道路巾三分の一位まで進んで来たこと、鈴木はこのとき清四郎が自動車に気付き回避するか、あるいは同人の左側を通り抜けることができると考えて、なお警笛を鳴らしながら左にハンドルを切つて一五粁位の速度で進行したこと、清四郎は(ろ)点附近で瞬時立ち止つたがなお自動車に気付かず、鈴木は(三)の位置で同人に接近しその姿が見えなくなつたので危険を感じ、急いでハンドルを左に切りながら強くブレーキをかけたが間に合わず、自動車右前バンバーを同人に衝突させ、同人を仰向に転倒させてその胸部の三分の一位を右前車輪でひいて車止めのような形で(四)の位置に停止したこと、そこで直ちに鈴木は約七〇センチ後退運転して同人を救出し近所の病院に運んだが、同人は間もなく頭蓋骨折背椎骨折などにより死亡するに至つたこと、を認めることができる。

以上の認定に反する証人佐藤喜代治、同鈴木半一の各証言部分成立に争ない甲第八、九号証、乙第五、六号証の記載部分は信用できない。

なお証人河東田善雄、同河東田利雄、同菊地ふゆのの各証言中、本件自動車は事故当時ブレーキが不完全であつたことを認めるような部分は、証人鈴木半一の証言とこれにより成立の認められる乙第二号証、成立に争ない乙第三号証にてらして信用できず、ほかにこの点の原告の主張事実を認めるに足る証拠はない。

三、以上認定の事実によつてみれば、清四郎の行動も非難すべき点があること後記の通りであるけれども、老令で通常の人に比べて歩き方も不十分な清四郎をわずか一六米前方に発見し、しかも警笛を鳴らしても気付く様子がなかつたのであるし、道路巾員は七・三米にすぎず、清四郎がその中央部附近まで進めば余程左側に寄らなければこれを回避して進むことはできないわけであるから、鈴木としては直ちに清四郎の前方で停車しうるよう措置するか、あるいは障害物がない限り極端に左側に寄つて同人を回避して進行できるように運行すべきであるに拘らず、別紙図面(三)の位置まで停車の措置をせず、また左側にハンドルを切つたといつてもその進路は道路の中心線が自動車の右側にあたる程度で進行したのである。もつとも前記認定のように(ろ)点で清四郎は一瞬立ち止つたのであるが、自動車を確認した様子はなかつたのであるから、この点から鈴木の運行を正当視することはできない。

以上の点において鈴木の行為には過失があつたものといわなければならない。

なお原告主張の、清四郎の救出にあたつて同人をひき直したという点についてみると、証人河東田善雄、同河東田利雄の証言中にはこれを肯定する部分があるが、前記認定の状況にかんがみ、後退運転することは緊急の救出方法として相当であり、これによつて再び清四郎に圧力を与えることにはならないと認められる。

四、次に成立に争ない甲第一号証によれば、原告とめよは清四郎の妻、同清留は長男、同文保は二男、同クリ子は二女であることが認められるから、本件事故により夫、父を失つたことにより精神上苦痛を受けたと推定すべきである。また原告文保本人尋問の結果によれば、清四郎の葬儀費用として原告とめよにおいて一〇万円余の支出を余儀なくされたことが認められる。以上の精神上、財産上の損害は鈴木が被告の事業の執行につき加えた損害である。

五、そこで被告主張の抗弁(一)について考える。

証人鈴木半一の証言、被告本人尋問の結果およびこれらにより成立の認められる乙第一、二号証を総合すれば、被告は昭和二八年鈴木を採用するにあたり、五日間同乗して技能をテストしその良好であるのを認め、その他経験年数が二年、性格も温和、忠実で落着いており、それまで自動車事故を起したことがないなどの点を十分勘案したこと、採用後は常に車の故障の早期発見のための点検を励行せしめ、故障がある場合の修理工場を指示し、交通法規の遵守について注意を与えるほか、なるべく長時間の運転をさせないようにし、月に四日は必ず休養させるなどの監督方法を講じていたことが認められる。右事実によれば、被告は鈴木の選任については相当の注意をしたと認めるべきであるが、右事実に本件事故の状況、成立に争ない甲第一〇号証を考え合わせると、本件のような自動車運転上の誤りを全く犯さないよう十分具体的な監督方法を講じていたものとはいまだ認めがたい。他にこの点を認めるに足る証拠はない。従つて被告は原告らに対し損害賠償の義務を免れることはできない。

六、最後に損害賠償の額ならびに被告の抗弁(二)についてみる。

成立に争ない甲第一一ないし第一三号証、証人河東田善雄、同河東田利雄、同菊地ふゆのの各証言と原告文保本人尋問の結果を総合すれば、清四郎は生前世帯主として原告とめよ、同文保ならびにその妻子と同居して農業を営み、田畑約一町歩(内自作地約七反歩)を自らあるいは家族に指示して耕作し、文保は仙台市に店員として通勤するかたわら農業も手伝い、一家は町内で中流の生活を維持していたこと、原告清留と同クリ子は他に独立した世帯をもつていること、が認められ、一方被告本人尋問の結果によれば、被告は九人の雇人を使つて藁工品の製造販売仲介販売をして月三〇万ないし五〇万円の売上があり、純利はその一割程度であることが認められる。

次に賠償額の決定にあたつて次の被害者側の過失をも考慮しなければならない。すなわち、

(イ)  交通の頻繁な道路上を横断しようとする一般の通行人は常に自動車その他の通行の有無、その運行の状況を注意して危険を避け交通を安全ならしめる義務がある。しかも原告文保本人尋問の結果によれば、清四郎は数年前眼を害し、治療の結果一応治癒した事実が認められるのであるが、老令でもあるから視力はなお完全ではなかつたものと推認されるから、清四郎は通常以上に慎重に行動すべきであつたわけである。ところが同人はこれを怠り、漫然しかも突如斜横断を行つた点に同人の過失があり、これは相当重大なものである。

もつとも本件賠償請求は民法七一一条にもとずくものであるから清四郎は厳密には不法行為の被害者とはいえないけれども、同法第七二二条の適用にあたり生命を害された者の過失も考慮に加えることができると解するのが衡平の原則に合する。

(ロ)  清四郎と同居していた妻であり子である原告とめよ、同文保は、清四郎が前記の通り老令で腰も曲り眼もいくぶん悪かつたのであるから、交通頻繁な街路に出るについてはできるだけ附添うなり、特に注意を与えるなり、その他万一の危険が起らないような方法を講ずべきであるにかかわらず、これを怠つた点に、右原告両名の過失がある。

以上の各事実に、原告の身分関係、清四郎の年令、被害者加害者の職業、生活程度、その他本件弁論の全趣旨を考え合わせてみると、慰藉料の額は、妻である原告とめよに対しては金五万円、同居の子である原告文保に対しては金三万円、原告清留、同クリ子に対しては各金二万円をもつて相当と認める。

さらに前記被害者側の過失を考慮に入れて、原告とめよのこうむつた財産上の損害については、金五万円に減額するのを相当とする。

七、そうすると、被告は原告とめよに対し金一〇万円、同文保に対し金三万円、同清留、同クリ子に対し各金二万円、および右各金員に対する弁済期後の昭和三一年七月一五日以降各その完済まで年五分の法定利率による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務があるから、原告の請求を右限度において認容し、その他は棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第九二条、第九三条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 小堀勇)

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